一心行の大桜は南阿蘇村の宝です

一心行の大桜は熊本県南阿蘇村(旧白水村)にある樹齢400余年のヤマザクラです。樹高14m、幹囲7.35mの巨木で、平成3年11月11日に「ふるさと熊本の樹木」として登録されています。満開時の一心行の大桜はもうただただ感動の一言です。 南阿蘇村の一心行の大桜は、開花の季節に20万人を超す人々が花見に訪れます。なぜ、こんなに多くの人々が1本のヤマザクラを見に集まるのでしょうか。樹齢400余年という人の寿命をはるかに超えた歴史的価値と、阿蘇五岳と南外輪山に取り囲まれた広大な景色。さらに、一心行の大桜はメディアの報道でさらに有名になり。人口約4600人の村をささえるかけがえのない宝物になりました。南阿蘇村は、一心行の大桜一帯の公園化を推進してきました。2002年度から5年間、約10億円を投じた村西部地区の「まちづくり総合支援事業」の目玉で、約4・4ヘクタールに約5億円をかけて花公園や公認のパークゴルフ場、駐車場を造りました。

一心行の大桜の由来

一心行の大桜の周辺はなだらかな斜面にある畑地でした。以前は、一心行の大桜はほとんど注目されることもありませんでした。一心行の大桜は、中村(峯)伯耆守惟冬が葬られる墓地内の菩提樹になっています。伯耆守惟冬は天正年間、当時の峯村(現、南阿蘇村中松)に築城された鶴翼城(峯城)城主であるとき阿蘇家の命を受けて矢崎城(現、熊本県宇土郡三角町)城代を兼務することになりました。しかし、薩摩の島津氏との戦いで天正8年(1580)に矢崎城で戦火で亡くなりました。そのため室(妻)と4歳になった嫡男、惟尚(後に峯伯耆守惟尚)は、少数の家臣とひそかに故郷峯村に戻り、その地名である峯(みね)伯耆守を名のりました。一心行の大桜はその時期に植えられたと伝えられ、戦いに散った城主、惟冬と家臣たちの御霊を弔うため一心に行をおさめたというところから「一心行」の名がついたと伝えられています。

一心行の大桜が有名になったきっかけ

一心行の大桜はテレビ朝日「ニュースステーション」の1999年の夜桜中継で一躍に有名になりました。南阿蘇村は1998年から、桜まつりを始めていましたが、その年の来場者は7万人。それが1999年は20万人と急増しました。メディアの力が一心行の大桜の名を日本全国に広めました。キャッチフレーズに「水の生まれる里」と謳う南阿蘇村は、旧環境庁の名水百選に選ばれた白川水源が年間50万人の観光客を集めます。一心行の大桜は、20日足らずのまつり期間中に、白川水源に次ぐ集客力を誇ります。今度の春は壮大な阿蘇の風景に囲まれた南阿蘇村の一心行の大桜を訪ねてみてはいかがでしょうか。周辺のホテル、旅館を簡単に紹介します。南阿蘇・白水・高森周辺、アーデンホテル阿蘇 、阿蘇ファームヴィレッジ 、小山旅館、栃木温泉 旅館朝陽、阿蘇白水温泉 瑠璃、阿蘇ファームランド阿蘇ファームヴィレッジ 、オーベルジュ 森のこびと、オーベルジュえばーぐりーん、オーベルジュ「森のアトリエ」、欧風料理宿 ログ山荘火の鳥

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